桜のあと、モネの描く「睡蓮」のようになるんです。勧修寺(2005年・2018春)

桜のあと、モネの描く「睡蓮」のようになるんです。(2005年 春)

いい春を残して下さってありがとうございます。私たちも、美しい過去になれるといいけれど。(2018年 春)

西暦900年創建のこのお寺からみれば、私たちは未来の旅人です。いい春を残して下さってありがとうございます。私たちも、未来からお礼をいわれるような素敵な過去になりたいものです。(2018年春TVCM)

通り名はかんしゅうじですが本来は勧修寺(かじゅうじ)といい山科区にある真言宗山階派の総本山。平安時代の昌泰3年(900)に醍醐天皇が母藤原胤子の菩提を弔うために創建され、皇室と藤原氏にゆかりの深い寺院です。境内の西側には本堂、北側には江戸時代、法親王が暮らす門跡寺院となった際、明正天皇の旧殿賜った重文の書院がありますが非公開になっています。

参道の両側は白壁の築地塀で白壁の上からのぞく桜とともに桜のトンネルをくぐりかのように続きます。

庭園には桜が咲き徳川光圀寄進の雪見灯篭越しに見える景色は一枚の絵のようです。「勧修寺型灯篭」と言い『水戸黄門さま』らしいユーモラスなスタイルから有名です。また灯篭を覆うように生えている植樹「ハイビヤクシン」はヒノ木科の常緑潅木で樹齢は750年と言われ、我が国無双の名木として名高いです。南側の睡蓮で有名な氷室池には冬季マガモが飛来します。

庭園は「勧修寺氷池園」と呼ばれ「氷室の池」を中心に造園されている「池泉庭園」です。古く平安時代には、毎年1月2日にこの池に張る氷を宮中に献上していた京都でも指折りの古池です。

 

肩に花びらが落ちてきました。どんな大画面テレビでもできない お花見でした。南禅寺(2008年春)

肩に花びらが落ちてきました。どんな大画面テレビでもできないお花見でした。 (2008年春)

あの、ひょっとしてハイビジョンの大型画面で桜を眺めて、もうそれで春を満喫した気になっていませんか。ところで風で手前に落ちた桜の花びらがさっきから私の肩に乗っかっているんです。こういうことが本当はとっても春なんです、よね。(2008年春TVCM)

南禅寺に向かう途中インクラインに出るために、古いレンガ造りのトンネル「ねじりまんぼ」を通る。”まんぼ”とは江戸時代に呼ばれたトンネルのことで、力学状の理由から、螺旋状にレンガを積み上げたことからこの名前になったとのこと。

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高低差のある琵琶湖疏水で船を運行するために敷設された傾斜鉄道の跡地で、春の蹴上インクラインの桜風景は格別で、600Mの傾斜軌道の両側から線路を覆いかぶさんばかりに咲き誇り、桜のトンネルは青い空に向って京都市内まで伸びていくような風景である。

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琵琶湖疏水の流れる山道の手前に蹴上発電所という明治24年(1891)6月に操業を開始したレンガ造りの情緒ある水力発電所があり、こちらの発電所の敷地も桜であふれている。

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このまま琵琶湖疏水を歩き、東山の桜散策の中心地「南禅寺」に到着です。西は岡崎の疏水べりに約800本の桜、南は今通ってきたインクラインの軌道上の600Mの桜のトンネル、北に向えば哲学の道の桜並木である。

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そんな南禅寺の三門から見る桜は、歌舞伎「楼門五三桐」の場面で、三門に登った五右衛門が「絶景かな、絶景かな。春の眺めを値千金とは小さいたとえ、この五右衛門が目からは値万両、万々両。日もはや西に傾きて、誠に春の夕暮れの、桜の色もひとしお、ひとしお。ハテ、うららかな眺めじゃなあ」と名科白を廻しているのである。

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見事なサクラであればあるほど、長い冬の時間、耐えてきたことを思うのでした。醍醐寺 (2009年春)

地球に、ポッと桜色になっているところがあるとしたら・・・ 京都です。あの秀吉が、自慢したくてたまらなかった 700本の桜の子孫たちです。少々の人出には、負けません。(1995年春)

1598年 秀吉もここの桜を見ました。今年も京都に春が来ます。 (1995年春TV)

見事なサクラであればあるほど、長い冬の時間、耐えてきたことを思うのでした。(2009年 春)

桜がこうして見事に咲くまでには必ず長い冬を越さなくてはなりません。そんな運命がこの国の花たちをますます美しくしているんじゃないでしょうか。そう思うと心から拍手を送りたくなります。(2009年 春TV)

京都における桜の名所の一つ、世界遺産・醍醐寺はあの豊臣秀吉が慶長3年(1598)「醍醐の花見」を行ったことでも良く知られており、「花の醍醐」と呼ばれていて、広大は境内には約1000本の桜が咲き乱れ、桜の名所100選にも選ばれている。太閤秀吉の行った壮大な醍醐の花見に思いを馳せながら桜を愛でることに。

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醍醐寺は醍醐山全山を寺域とする京都屈指の大規模寺院で、真言宗醍醐派の総本山である。伽藍は山上の上醍醐と山下の下醍醐に分かれ、80余の堂塔が立つ。貞観16年(874)に修験道中興の祖である理源大師・聖宝が上醍醐に草庵を結だのが始まりであり、豊臣秀吉が再興した。平成6年(951)世界文化遺産にも登録されている。
まずは山門から桜並木の長い参道に迎えられるという贅沢さである。

参道の左手には三宝院、右手には霊宝館があり、参道を進むと仁王門が現れる。

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三宝院の向かいに延びる霊宝館入口沿い参道の両脇には桜が満開。参道左手の塔頭は醍醐の花見の中心として行われた「三宝院」である。

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醍醐寺の塔頭の一つで、定賢、義範、範俊の三人の師から法を授かった醍醐寺第14世座主・勝覚僧正が永久3年(1115)に創建したもので、その後、鳥羽法皇の御願寺になる。そんな三宝院の玄関脇には見事な”大紅しだれ桜”がある。それが「太閤のしだれ桜」で、JR東海CMで撮られているのである。

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奥村土牛画伯の代表作「醍醐」のモデルになった桜です。

「京都」「初夏」「花」で検索して、息子が教えてくれました。三室戸寺(2006初夏)

「京都」「初夏」「花」で検索して、息子が教えてくれました。
春と夏の間に、いったい いくつ季節を隠しているんだ、この町は(2006年 初夏)

三室戸寺は明星山麓に位置する西国霊場第10番札所。奈良時代の創建といわれ、裏山から出現したとの伝説をもつ千手観音を本尊に祭る。三室戸寺という地名に室という文字が使われているが、あの御室と同じで、光仁天皇がこの地に離宮をかまえられた当初は御室戸寺だったようであるが、その後も花山天皇・白河天皇の離宮となり、「御」が「三」になって三室戸寺になったとのこと。

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枯山水、池泉、広庭からなる5000坪の大庭園が6月は1万株のアジサイに彩られるのである。

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アジサイ庭園を右手に見ながら山門をくぐり、階段を上った先が本堂である。現在の本堂は約180年前(文化二年)に建立された重層入母屋造りの重厚な建築で、その背景には室町時代の十八神社社殿、東には鐘楼・三重塔がある。本堂前の『蓮園』には、250鉢の色とりどりの蓮が一斉に咲いていればまさしくその光景は極楽浄土のようであろう。

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清水さんも、ちょっと夜更かしする。それが秋なんですね。清水寺(2004年秋)

鮮やかな朱色の仁大門が出迎えてくれる大定番の西国三十三ヶ所観音霊場十六番札所「音羽山 清水寺」。

パリやロスに ちょっと詳しいより 京都にうんと詳しいほうが かっこいいかもしれないな。外国のビジネスマンって けっこう京都のこと よく知ってたりするんだよな。(1993年 秋)

絵ハガキだけでわかったつもりになられると淋しい、と京都はいっています。京都は1200年目の秋です。そうだ京都、行こう。(1993年 秋CM)

中学校の時、修学旅行で来ているのにな  ぜんぜん違うな、はぁー 京都は1200年目の秋です。(1993年 秋CM)

清水さんも、ちょっと夜更かしする。それが秋なんですね。(2004年 秋)

どうですか、いかまらここにいらっしゃいませんか。京都東山三十六峰の秋はありがたいことに結構酔いっ張りなんです。こんな大人っぽい清水さんもいいもんでしょ。(2004年 秋TVCM)

と、秋だけで2回も取り上げられている「清水の舞台」で名高い東山の清水寺は、「木津川の北流に清泉を求めて行け」の夢告から宝亀9年(778)大和の僧・延鎮上人が音羽の滝の上に庵を結び、千手観音を祀ったのが始まりで、その後延暦17年(798)坂上田村麻呂が長岡京の旧紫宸殿を移築して創建したと伝わる単立の北法相宗大本山で、かつては清少納言も参詣したという。年間500万人もの参拝客が訪れる京都随一の人気スポットである。

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秋には音羽山の山裾一帯に広がる境内が赤く色づき、周囲2m30cmの巨大な139本の古色を帯びたケヤキの柱でクギを一本も使わず支えている、山際から前面に張り出しためずらしい懸崖造舞台の下に広がる錦雲渓もまさしく錦の雲がたなびいているかのような艶やかな情景になる。紅葉越しにじっくり1200年目の京の町を一望する舞台上の眺望も格別だが、奥の院と子安塔をつなぐ参道から望む、舞台と紅葉のコラボレーションもまた素晴らしい。燃え上がるような深紅の海原に浮かぶ名舞台がそこにあります。

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「正真正銘のゴクラク」は、町角を曲がるとあったりするんです。真如堂(2002年秋)

ご本名は真正極楽寺。「正真正銘のゴクラク」は、町角を曲がるとあったりするんです。(2002年秋)

正式な名前は真正極楽寺といいます。「正真正銘のゴクラク」ということですよね。住宅地の角をひょいと曲がったところにあるからといって侮ってはいけない。京都はそういう街です。(2002年秋TVCM)

「真如堂」は隠れた紅葉の名所で「そうだ、京都、行こう」で紹介されて落胆した人が多かったそうで、大通りから奥まっているので、普段はとても静かで、1万坪の広い境内は自由に出入りが出来、参拝客以外にも、とっておきの庭のように過ごす地元の人が多く、大らかで、親しみのあるお寺なのである。

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真如堂」は紅葉の名所と知られる天台宗の寺院で、正式には真正極楽寺。寺名は正真正銘の極楽の寺という意味で、真如堂はもともと本堂の呼び名であったという。
永観2年(9849、戒算上人が比叡山常行堂にあった、平安初期に円仁が霊木で彫った天下三如来のひとつ阿弥陀如来を本尊として堂宇を建てたのがはじまり。本尊阿弥陀如来像は女人を救う仏で、「うなずきの弥陀」という別称で庶民に親しまれていてる。

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境内には三重塔、書院、元三大師堂、鐘楼などの伽藍が並び、大寺院の風格が漂っている。山門から本堂まで、ゆるやかに延びる参道の両側からは、赤く色づいた楓が降りかかり、三重の塔近くにある「はなの木」は黄、橙、赤と三色に変わるグラデーションが珍しい。空を覆い尽くさんばかりの紅葉のすき間から、優美な三重塔が顔をのぞかせるのである。

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六百年前、桜を全部 切りました。春より秋を選んだお寺です。東福寺(1997年秋)

六百年前、桜を全部、切りました。春より秋を選んだお寺です。紅葉のベストポジションは、修行の道でした。(1997年秋)

昔、このお寺のお坊さんは、境内のモミジは残して桜の木は、ばっさり切らしたそうです。春を捨ててその分秋という季節を大切にしたのでしょうか。いさぎいいな。(1997年秋TVCM)

紅の雲海に包まれた通天橋が待ち受ける「東福寺」。東福寺「三名橋」のひとつ「臥龍橋」を渡ると、「通天橋」の向かい側にある為、通天橋×洗玉澗の紅葉の全景がわかるベストポジションなのです。

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摂政九條道家が創建した臨済宗東福寺派の大本山。九條家の菩提寺として嘉禎2年(1236)から19年の歳月をかけて建立され、規模は東大寺につぎ、教行は興福寺にならうという意味から、「東」と「福」の二字をとり、「東福寺」と名づけられた、京都五山の一つにふさわしい禅宗寺院の威容をたたえている。本尊は釈迦如来。本堂は昭和9年再建、三門は現存最古の三門で国宝。禅堂、浴室、東司(とうす)、愛染堂など重文の建築も多い。方丈庭園は昭和の作庭家、重森三玲による。750年の歴史を脈々と伝える東福寺は京都屈指の紅葉の名所として知られ、広大な境内に大伽藍が勇壮な甍を並べて佇む景観は、時空を越えた別天地のようである。数ある京都の紅葉名所のなかでも、Noワンに挙げる人が多いのが、本堂と開山堂をゆるやかに隔てるように、三の橋川が流れ、一帯の渓谷は洗玉澗といい、ここを結んで架けられた、紅葉の炎に浮かび上がった天へと通じる名橋、「通天橋」からの眺めである。

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境内に繁る紅葉には、イロハモミジ、ヤマトモミジなどが多く、それらは優に二千本におよぶそうで、かえでの燃えるような朱色が、まるで下からわき上がってくるようである。その一部に、聖一国師が宋国から持ち帰ったと伝えられる唐楓は別名通天紅葉と呼ばれ、珍しい三つ葉楓は秋の深まりにつれ、艶やかな黄金色に染まるのである。通天橋の中央部分には張り出しがあり、ここからの眺めは最高。橋からひとしきり大パノラマを堪能したあとは、渓谷のほうへ降りて、紅葉が繁る中を散歩したのである。600年前まで、この一帯には桜が植えられていたが、後世、遊興の地としてにぎわう桜は修行の妨げになると、すべて伐採し、もみじに植え替えられたと言い伝えられているそうである。それが上記のキャッチコピーなのである。

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日本史という額縁に、1995年の紅葉がおさまっていました。南禅寺(1995年秋)

インクライン(傾斜鉄道)から疎水百選「琵琶湖疎水」の横を歩いていくと南禅寺境内にあるレンガ造りの「水路閣」にでる。東山の自然に溶け込む水路閣は古代ローマの水道橋を模したという不朽のグッドデザインで赤レンガの橋脚が優雅なアーチを描いて並び建つ姿は紅葉によく映える。

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日本史という額縁に、1995年の紅葉がおさまっていました。(1995年秋)

歴史という額縁に、1995年の紅葉がおさまっています。や、絶景かな、町ごと紅葉の美術館になる京都です。(1995年秋CM)

鎌倉時代の正応4年(1291)に亀山法皇の離宮を禅僧・無関普門が禅寺に改めたのにはじまる臨済宗南禅寺派の大本山「南禅寺」で、室町時代には臨済宗京都五山の最高位に君臨した、栄えある歴史にふさわしい風格が漂う。

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一番の見どころは日本三大門のひとつで、下層は「天下竜門」上層は「五風楼」と呼ばれる三門は、藤堂高虎が大阪夏の陣で倒れた戦没者を弔うために寛永5年(1628)に再建されたものであるが、本瓦葺の入母屋造で高さ22M、雄大な禅宗様式を代表する門といえる。その大きさには驚かされるが、そこに紅葉が加わる秋の景色はさらに感動的であり、紅葉の赤と門の黒が鮮やかなコントラストを見せる。楼上から京都が一望でき、歌舞伎の「楼門五三桐」で石川五右衛門の「絶景かな・・・」でもおなじみ名所である。

今年という年は この景色で思い出すことに なりそうです。永観堂(1996年盛秋)

今年という年は この景色で思い出すことになりそうです。今日、一生ものの風景に 出会ったような気がします。(1996年盛秋)

ある日、このお寺の回廊で 修行中の僧の前に阿弥陀様が スッと現れ 振り返りざまに 「歩みが遅い 」と叱ったそうです。紅葉に見とれてばかりでいないで ちょっと私も 見返り阿弥陀様に叱られて行きます。(1996年盛秋 TVCM)

“秋は紅葉の永観堂”とうたわれるほど昔から紅葉で名高い「永観堂」。正式には禅林寺といい、歌人である藤原関雄(805-853)の別荘地を、弘法大師の弟子・真紹僧都が譲り受け仁寿3年(853)に創建、10年後の貞観5年(863)に清和天皇より勅許と「禅林寺」の寺号を賜ります。

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当初は密教道場であったが、平安末期に永観律師が第7代禅林寺住職となり、浄土念仏を唱えて専修念仏道場となり、永観堂の名がついたといわれ、正式名称は浄土宗西山禅林寺派総本山禅林寺。敷地内には庭園があり、橋を渡りながら赤や黄色・・・そして放生池(弁天池)の周囲を埋め尽くす紅葉の景色や池に映る紅葉を眺めるのもまた風情がある。お寺に入り、庭園や軒先を彩る楓のしっとりと薫るような美しさでおおわれた釈迦堂や法然上人を祀る御影堂を拝観する。永観律師が念仏行を行っているとき、突然現れた阿弥陀如来が振り返って「永観、遅し・・・」とい言ったと伝わる逸話をもとに鎌倉時代初期に作られた高さ77cmの仏像、顔をななめ後ろに向けており「みかえり阿弥陀」と呼ばれている阿弥陀如来像を祀る。阿弥陀堂(本堂)はもともと大阪四天王寺にあったものを豊臣秀頼が移築したものである。その手前から、曲がりくねった木の廊下「臥龍廊」を上っていくと真紹僧都を祀った開山堂がひっそりとある。途中、岩壁に張り付くようにして紅葉しているのが「古今和歌集」の歌にも詠まれた「岩がきもみじ」である。

「奥山の岩垣もみじ 散りぬべし 照る日の光 見るときなくて」 藤原関雄

ロマン派歌人与謝野晶子の歌集「みだれ髪」にも収録されている歌碑が放生池の袂にあります。後の夫与謝野鉄幹と恋のライバル山川登美子と三人で訪れた紅葉の永観堂で詠んだ歌が 「秋を三人(みたり) 椎の実なげし 鯉やいづこ 池の朝かぜ 手と手つめたき」です。

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京都市内の眺望が素晴しい山上には多宝塔があり、境内を埋め尽くす約3000本ものもみじが多宝塔まで続く山肌を赤々と染め上げる様は圧巻である。1200年以上の時を経た今もやはり「もみじの永観堂」であった。

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「がんばれ」「元気だせ」なんていうよりも・・・・・・ 毘沙門堂(2000年春)

いま、励ましを必要とするひとがいたら 「がんばれ」「元気だせ」なんていうよりも私なら、こういう場所に連れてきてあげたい と思います。春がこんなにもきっちり訪れる国でよかった。(2000年春TVCM)

地下鉄東西線山科駅から「毘沙門堂」を目指して 駅から徒歩10分ほどで「琵琶湖疏水」に到着。京都の近代化の一環として琵琶湖の水を京都に引くため、明治時代に堀削されたのが琵琶湖疏水で、このうち山科を通る疏水沿い2Kmは”山科疏水の道”として遊歩道が整備され、疏水にかかる安朱橋に立つと、両岸から立派な桜の木が水面に枝を広げて、桜と菜の花のコントラストがどこまでも続く光景に心ひかれる。

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さらに10分程で階段を上り毘沙門堂の入口、仁王門が目の前に。天台宗の五箇室門跡寺院のひとつで、ひなびた山寺の風情を残す古刹である。伝教大師作で秘仏とされている本尊の毘沙門天は京の七福神の一つに数えられる。創建は大宝3年(703)でかつては上京区出雲路にあったが、応仁の乱で廃絶、公海僧正が寛文5年(1665)にこの地に復興し、後西天皇の皇子が入寺ぢて門跡寺院となったとのこと。

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桜だけ見たいので本堂に沿って進むとなかなかの大きな桜の木が朱色の霊伝に花を添えている。

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境内にある、たくさんの桜の中でも、圧巻は樹齢百五十余年の枝垂桜「般若桜」で、毘沙門しだれとも呼ばれているこの大しだれ桜は、樹齢150年、高さは10Mとさほど高くないはないが、枝張り30Mという大きさが見事で、枝が長すぎるため、下から木で支えられている。

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ここがJR東海CMで撮られているのである。