なにしろ、日本でいちばん四季にうるさい町の紅葉ですから。祇王寺(1994年秋)

悲恋を伝える尼寺「祇王寺」は、平安後期、平清盛の寵愛を失った白拍子・祇王が母刀自、妹祇女とともに出家し、庵を結んだことに始まります。郷愁を誘う詫びた風情の山門をくぐって境内に入ります。

なにしろ、日本でいちばん四季にうるさい町の紅葉ですから。

このへんにあるといいな、とおもうところに、ちゃんと紅葉があるんです。京都では。(1994年秋)

このへんにあるといいな、とおもうところに、ちゃんと紅葉があるんです。そこが京都なんですね。ほら、京都の秋はもてなし上手です。(1994年秋 嵯峨野)

静けさに包まれた茅葺屋根の庵の前には苔むす庭が広がり、周囲にめぐらされた小路を歩きながら鑑賞できます。

紅葉に木々を縫って差し込む木漏れ日、苔を一面に覆い尽くす散紅葉・・・その眺めは、まるで一枚の絵画の様に完成されています。紅葉の道がいくつも見つかる嵯峨野の中でも、ひときわひっそりと、しかしドラマチックな趣にあふれるところです。

外の景色をお借りできて、うれしい、ありがとう。「借景」は、きもちの言葉でした。天龍寺(2016年秋)

暦応2年(1339)室町幕府初代将軍・足利尊氏が吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために。夢窓国師を開山として創建した臨済宗天龍寺派の大本山が「天龍寺」で、正しくは霊亀山天龍資聖禅寺といいます。

夢窓国師が手掛けた池泉回遊式の「曹源池庭園」は、国の史跡・特別名勝第一号に指定された名園です。多くの堂宇が明治以降の再建ですが、曹源池庭園は創建当時の姿を留めていています。曹源池の名称は国師が池の泥をあげた時、池中から「曹源一滴」と記した石碑が現れたところから名付けられました。

外の景色をお借りできて、うれしい、ありがとう。「借景」は、きもちの言葉でした。(2016年秋)

お寺を建てて美しい庭をつくろう、 600年以上も昔のプランです。外の景色をお借りして完成できたことに感謝をです。そんな気持ちがここにはあります。景色を借りると書いて「借景」いい言葉じゃないですか。(2016年秋TVCM)

背後に連なる錦秋の左手に嵐山、正面に亀山・小倉山、右手遠方に愛宕山を借景に自然美を取り込み、禅の思想が息づく庭園の人工美が一体となった壮大な景色は、紅葉が加わることでよりいっそう華やかに見えます。優美な王朝文化の大和絵風の州浜と宋元画を思わせる池奥の景色とが融合しています。正面の枯山水の三段の石組は龍門の瀧といい、これは中国の故事に由来します。

境内には大方丈、書院、庫裏、法堂、僧堂などの禅寺様式の建物が並び、法堂の天井には有名な「雲龍図」が描かれていますが早朝参拝は庭園のみになります。

子どもは ひと夏ごとに、おとなは ひと秋ごとに、善峯寺(2005年秋)

子どもは ひと夏ごとに、おとなは ひと秋ごとに、      なにか大事なものを身につけてゆくように思います。(2005年秋)

西山を代表する大パノラマの善峯寺は約3万坪、高低差100mの広大な境内に大小20近くの堂宇が建ち並び、その中を歩き巡る回遊式庭園になっていて、山寺という印象をはるかに超える華やいだ景観が広がっています。

平安中期の長元2年(1029)、比叡山横川の恵心僧都(源信)に師事した源算上人によって開かれ、その後建久3年(1192)後鳥羽天皇により「善峯寺」の宸額が下賜されました。応仁の乱により大半の坊が焼失しましたが、江戸時代、徳川5代将軍綱吉公の生母である桂昌院により復興されています。

真っ赤な紅葉との対比を見せる全長40m近くもある国の天然記念物である「遊龍の松」が見事です。

平安時代に、ここでなくてはいけない、とわざわざ場所を選んでつくられたお寺でした。だから、わざわざここへ来なければ会えなかった秋でした。おーい来たよ(2005年秋CM)

2009年の秋。今わたしたちは日本の歴史の、どのあたりを歩いているのだろう。光明寺(2009年秋)

京都の西南、西山連峰の麓、美しい竹林や杉、松の森に囲まれた栗生の里は法然上人が初めて「お念仏」の教えを説かれたところで、800年の歴史を刻む光明寺は西山浄土宗の総本山で報国山光明寺として法然上人の教えを受け継ぎ、総門の前に立つ「浄土門根元地」という石標はそのことを表しています。

法然上人を開山一世としていますが、建久9年(1198)の創建に力をつくしたのは『平家物語』や謡曲『敦盛』に登場する、有名な一の谷の戦いで平敦盛の首をとった頼朝方随一の豪傑・熊谷次郎直実です。その慚愧の念と無常感を法然上人の言葉に救われたことから出家を決意し、法然に師事した熊谷蓮生法師が、この地に念仏三昧院を開いたのが始まりです。

総門をくぐると、御影堂までの数百mの参道が二手に分かれています。右手には、幅15mぐらいの女人坂ともいわれるなだらかな階段があり、表参道の両側には色鮮やかな紅葉が広がっている・・・予定でしたがちょっと早かったのか。「浄土門ここにはじまる照紅葉」の句碑に出会う紅葉の参道です。敷石は元禄時代に近郊の桂川からひとつふたつと持ち寄られたものだそうです。

左手には真っ赤に色付いたもみじ?がトンネルのように薬医門へと続き、通称「もみじの参道」として親しまれています。

2009年の秋。今わたしたちは日本の歴史の、どのあたりを歩いているのだろう。(2009年秋)

ただの紅葉のトンネルではありません。800年前につながる、タイムトンネルです。今わたし達は、日本の歴史のどのあたりを歩いているんだろう。そんなことを考えてしまう、2009年の秋です。(2009年秋CM)

専修念仏について論議した「大原問答」が行われた舞台。大原・勝林院(2008年初秋)

じっと耳を澄まさないと聞こえてはこない、ここにあるのはそんな音ばかりです。不思議なことに人のしゃべり声も小さくなっていました。涼しくなったら考えよう、そう言って後回しにしていたこと、思いだしました。(2008年 初秋CM 大原の里)

涼しくなったら考えよう、そう言って後回しにしていたこと、 ここに来たら思い出しました。(2008年 初秋)

魚山と号する天台宗の寺院で天台声明の根本道場が「勝林院」です。慈覚大師円仁が唐から持ち帰り、比叡山に伝承した法儀声明の修験道上として弟子の寂源が長和2年(1013)に創建しました。声明とはインドで始まったバラモンの学問の一つですが、日本では仏を讃える歌謡や経を読む音律よして広がりました。「呂律が回らない」にあるように声明の音律に因んだ川(呂川・律川)があり、声明に関わりの深い土地です。

文治2年(1186)に天台宗の顕真が浄土宗祖の法然を招き、専修念仏について論議した「大原問答」が行われた舞台としても知られています。三千院前にある「鉈捨藪跡」は、大原問答の折り、法然の弟子である熊谷次郎直実は「師の法然上人が論議の破れたなら法敵を討たん」との思いで袖に鉈を隠し持っていたところ上人に諭されその鉈を投げ捨てた藪だと言われています。

この「ヒンヤリ」は 水の神様の、しわざです。貴船神社(2011年夏)(2002年夏)

貴船川沿いに本宮、中宮、奥宮が離れて点在し、約80段の石段の両脇の朱塗りの春日灯籠が並ぶ本宮の石段参道は、したたるようなご神木カツラの緑が広がり映え美しくあでやかです。

浅緑、浅葱、萌葱、萌黄、「日本のみどり色」が見つかりました。(2011 夏)

全国450社ある貴船神社の総本社である「貴船神社」は、京の町中を流れる鴨川の水源に位置し、古くは木々の生い茂った山『木生嶺』とも、大地全体からエネルギー(気)の生じる根源として『気生根』とも記されていたといい、反正天皇(390年頃)の時代の創建とされている。神武天皇の母、玉依姫命が黄船に乗って浪速から淀川・鴨川・貴船川を遡って当地に上陸したところに水神を奉り祠を建てたのが始まりで、1600年以上も前から水の神として信仰を集めていたのです。

その奥宮は古木が天を覆い、生命生気に満ちた正に『聖なる森』の感じです。

この「ヒンヤリ」は 水の神様の、しわざです。(2002年 夏)

貴船川の上流へ500M、夏の川床で有名な料亭の赤提灯が途切れたあたりに奥宮がある。その間にある中宮(結社)の御祭神は磐長姫命で縁結びの神様と知られ、歌人・和泉式部が詣でて、心が離れた夫とよりを戻したことで有名です。

願い事をかなえる為にはまず、本宮で購入した「結び文」の裏に願い事を書き、結社の「結び処」に奉納するのだが、貴船神社の参拝方法は、本宮⇒奥宮⇒結社という順に参拝するのが、三社詣と言われる古くからの慣習です。最後のお参りする「結社」が縁結びの最強パワースポットなのである。

「京」と「水」とでできた「涼」でした。(2002年 夏)

気温は市中より約5度は低く、貴船川の渓流にしつらえた床で涼をとるのが、昔から京都の人の夏の楽しみなのです。

柱を額縁に見立てた額縁庭園でゆっくりと目と耳を遊ばせて下さい。大原・宝泉院 (1999年 夏)

この国もますます、グローバル化するそうですね。あちこちが、デジタル化なんだそうですね。二十一世紀が、もうすぐだそうですね。                           京都は「関係ない」って顔をしているようでした。(1999年 夏)

日本はどんどんグローバル化しなくっちゃとか  なんでもかんでもデジタル化だとか 21世紀はほらそこまできているぞとか なんだかこの国も大変なことになってきているようですが ちなみに明日は晴れです。(1999年 夏TV)

「宝泉院」は大源寺(勝林院)の住職の坊として平安末期頃よりの歴史を持ちます。客殿はオープンエアー心地良い風が吹き抜けます。まさしく「この寺の 竹の枝間を うちこして 吹き来る風の 音の清さよ」です。

客殿正面の庭に植わる樹齢700年以上の五葉松も見事で三上山(近江富士)を象ったとされています。高浜虚子は「大原や 無住の寺の 五葉の松」と詠んでいます。

三千院、実光院などの寺院を訪ね歩く道のつきあたりにひっそりと姿を現します。柱を額縁に見立てた額縁庭園でゆっくりと目と耳を遊ばせて下さい。鮮やかな緑と樹齢七百年の五葉松。縁側で頂く御抹茶と和菓子。この庭園の名は盤桓園「立ち去りがたい」言う意味だそうです。うなずけます。

 

 

京都のミステリーゾーンへ、ようこそ。鞍馬寺(1998年 夏)

六五〇万年前、金星よりの使者、この地に立つ。       八〇〇年前、義経、天狗と出会う。京都のミステリーゾーンへ、ようこそ。(1998年夏)

京都のミステリーゾーンへ、ようこそ。さて、どのコースをお選びになりますか。①金星からUFO到来説②天狗伝説③義経生存説 む、信じられないって顔してますね 嘘か本当か先に行ってちょっと確かめてきます。(1998年 夏TVCM)

牛若丸の伝説が今も息づくパワースポット「鞍馬寺」は宝亀元年(770)、鑑真和上の弟子・鑑禎上人が毘沙門天を本尊として創建し、延暦15年(796)藤原伊勢人が塔堂伽藍を整え千手観世音も合わせ祀り誕生したとされる古刹です。宇宙エネルギーを「尊天」と称し、ご本尊と仰ぎ、その力の働きを護法魔王尊(鞍馬天狗)の姿で表しています。牛若丸(源義経)が修行したという伝説が残り、いにしえより信仰を集める霊験あらたかなお寺であり、広い境内には手付かず自然が残り、昼間でも少し暗く神秘的です。実際、「鞍馬山」は暗部山の別称があるように、暗く霊気に満ちた山として古くから京の人に知られていました。

仁王門から清少納言が「近くてとほきは・・・」と著した九十九折りの参道を登り、本殿からさらに貴船へと牛若丸の足跡を辿り、源義経の若き日に思いを馳せてみてはいかがですか。

 

 

「ありがとう」 桜を見上げて言ったのは初めてな気がする。円山公園(2006年春)

こういう時代、気合いの入ったサクラが見たいものです。   いろんな時代を生き抜いてきたサクラだもの、やっぱりちがうな。(1994年 春)

「ありがとう」 桜を見上げて言ったのは初めてな気がする。(2006年 春)

ああきれいだ、いいお酒が飲めるぞ。桜を見るとだいたいこんなことを思うんですよ いつもわね。それが今夜はちょっと違かな。なんて言ったらいいんだろう そう また春がきた、ありがとう。(2006年 春TV)

「山の桜」「里の桜」ともに数多くの名所を持つ京都の里の桜の代表するものの一つが円山公園にある高さ12m、枝張り10mのこの樹齢100年の大きな一重白彼岸枝垂れ桜です。

「祇園さん」とよばれる八坂神社から東へ続いて広がる、大正3年(1914)に完成した京都最古の公園が円山公園です。元が八坂神社の一部で明治維新以降分離しました。約87000㎡の広さがあり、園内には小川治兵衛が手掛けた池泉回遊式庭園を中心に料亭や茶店が点在し、坂本龍馬や中岡慎太郎の銅像もある。すぐに目につく枝垂桜は、特に夜、かがり火に浮かび上がるその姿は神秘的ですらあります。京都随一の桜の名所と知られ約680本の桜が植えられていますが、ここは町の中心、毎年ここで花見をするという地元の人も多いのです。

整然とした庭に咲き誇るしなやかで優美なしだれ桜に彩られる“ねねの寺”「高台寺」(1996年春)

「鷲峰山高台寺」は、正式には高台寿聖禅寺といい、豊臣秀吉の没後、出家した正室・北政所(ねね)が、徳川家康の援助を受けて慶長11年(1606)に、秀吉の菩提を弔うため建てた寺院です。伏見城から方丈や茶室が移築された境内は壮麗です。かなりの敷地を誇るにもかかわらず、威圧的なところがなく、建物と庭とが一体になって来る人を迎えてくれるやさしさがあります。

方丈の前庭は波心庭といい砂盛と砂紋を生かして構成されたシンプルな枯山水庭園。そしてねねが手植えしたと伝わる見事な枝垂桜「高台寺桜」の桜色が彩りを添えていて、凛とした白砂の一隅にあでやかな枝垂れ桜が映えています。

しっかり、しっかり春を見とかないと、 すぐに次の季節になっちゃいますよ。                      この国に風景なんだと思うと、なんだかうれしいな。(1996年春)

しっかり、しっかり春を見とかないと、 すぐに次の季節になっちゃいますよ。もうしばらくここにいよっと。(1996年 春TVCM)

庭園は小堀遠州作庭の草木や石組が大胆に配されたダイナミックな池泉回遊式庭園で国の史跡・名勝に指定されています。