清水さんも、ちょっと夜更かしする。それが秋なんですね。清水寺(2004年秋)

鮮やかな朱色の仁大門が出迎えてくれる大定番の西国三十三ヶ所観音霊場十六番札所「音羽山 清水寺」。

パリやロスに ちょっと詳しいより 京都にうんと詳しいほうが かっこいいかもしれないな。(1993年 秋)

清水さんも、ちょっと夜更かしする。それが秋なんですね。(2004年 秋)

どうですか、いかまらここにいらっしゃいませんか。京都東山三十六峰の秋はありがたいことに結構酔いっ張りなんです。こんな大人っぽい清水さんもいいもんでしょ。(2004年 秋TVCM)

と、秋だけで2回も取り上げられている「清水の舞台」で名高い東山の清水寺は、「木津川の北流に清泉を求めて行け」の夢告から宝亀9年(778)大和の僧・延鎮上人が音羽の滝の上に庵を結び、千手観音を祀ったのが始まりで、その後延暦17年(798)坂上田村麻呂が長岡京の旧紫宸殿を移築して創建したと伝わる単立の北法相宗大本山で、かつては清少納言も参詣したという。年間500万人もの参拝客が訪れる京都随一の人気スポットである。

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秋には音羽山の山裾一帯に広がる境内が赤く色づき、139本の古色を帯びた柱が支えている山際から前面に張り出しためずらしい懸崖造舞台の下に広がる錦雲渓もまさしく錦の雲がたなびいているかのような艶やかな情景になる。紅葉越しに市内を一望する舞台上の眺望も格別だが、奥の院と子安塔をつなぐ参道から望む、舞台と紅葉のコラボレーションもまた素晴らしい。燃え上がるような深紅の海原に浮かぶ名舞台がそこにあります。

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ご本名は真正極楽寺。「正真正銘のゴクラク」は、町角を曲がるとあったりするんです。真如堂(2002年秋)

正式な名前は真正極楽寺といいます。真正銘のゴクラクということですよね。住宅地の角をひょいと曲がったところにあるからといって侮ってはいけない。京都はそういう街です。(2002年秋TVCM)

「真如堂」は隠れた紅葉の名所で「そうだ、京都、行こう」で紹介されて落胆した人が多かったそうで、大通りから奥まっているので、普段はとても静かで、1万坪の広い境内は自由に出入りが出来、参拝客以外にも、とっておきの庭のように過ごす地元の人が多く、大らかで、親しみのあるお寺なのである。

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真如堂」は紅葉の名所と知られる天台宗の寺院で、正式には真正極楽寺。寺名は正真正銘の極楽の寺という意味で、真如堂はもともと本堂の呼び名であったという。
永観2年(9849、戒算上人が比叡山常行堂にあった、平安初期に円仁が霊木で彫った天下三如来のひとつ阿弥陀如来を本尊として堂宇を建てたのがはじまり。本尊阿弥陀如来像は女人を救う仏で、「うなずきの弥陀」という別称で庶民に親しまれていてる。

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境内には三重塔、書院、元三大師堂、鐘楼などの伽藍が並び、大寺院の風格が漂っている。山門から本堂まで、ゆるやかに延びる参道の両側からは、赤く色づいた楓が降りかかり、三重の塔近くにある「はなの木」は黄、橙、赤と三色に変わるグラデーションが珍しい。空を覆い尽くさんばかりの紅葉のすき間から、優美な三重塔が顔をのぞかせるのである。

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「みんなどうか元気で」 と思う人で、この季節、この町はできているみたいだ。北野天満宮(2009年 初春)

桜と紅葉の季節には人であふれてしまうが、梅の季節は、はんなりとした京都らしさが町にただようと感じながら、京都「七野」のひとつ北野にあり、京都の人々からは「北野の天神さん」と呼ばれ、親しまれている京都では御所の四方の鬼門の北西を護る「北野天満宮」を訪れる。

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この社は幼い頃から勉強熱心で最年少で国家試験に合格し、右大臣にまで上り詰めた学問の神様で知られる菅原道真公をお祀りする、全国のおよそ12000社あると言われる天神様、天満宮の総本社である。

楼門をくぐるも本殿は参道の正面になく「筋違いの本殿」といわれ、もとの地主神社があるため横にずらして本殿が建てられたためです。

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平安時代・天暦元年(947)に現在の北野の地に朝廷によって道真を祀る社殿が創建され、歴代の朝廷や将軍家、武家などが造営や修復をしている。特に太閤秀吉好みの現在の豪華絢爛な桃山建築を代表する社殿は慶長12年(1607年)秀吉の子、秀頼が建造し、本殿に道真公が祀られ、石の間でつなぎ拝殿・楽の間と複合される八棟造(権現造)と称され、日光東照宮や豊国神社にも利用されているものである。

彫刻のなかに日月星があるといわれる三光門だが、星がみあたらないので「星欠けの三光門」とされ、北野天満宮七不思議のひとつになっている。星は三光門の上に輝く北極星だといわれています。門をくぐるとそこにはまさしくJR東海のCMの本殿が御神木の「紅和魂梅」と一緒に迎えてくれているではないか。

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北野天満宮の主祭神である菅原道真が太宰府左遷の際に詠んだ有名な歌が「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな

拾遺和歌集に詠まれ、平安時代中期の学者/大江匡衡筆の楼門の額文に「文道大祖・風月本主」と称えた菅原道真公は、ことのほか梅を愛され、その梅が主である道真を慕って、一晩のうちに太宰府に 飛んでいったという「飛梅伝説」が生まれた。その梅が御神木の「紅和魂梅」です。

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この伝説により北野天満宮の神紋には梅があしらわれている。また菅原道真は学問の神さまとしても知られていて、学問の神さまとして有名なのです。

六百年前、桜を全部 切りました。春より秋を選んだお寺です。東福寺(1997年秋)

昔、このお寺のお坊さんは、境内のモミジは残して桜の木は、ばっさり切らしたそうです。春を捨ててその分秋という季節を大切にしたのでしょうか。いさぎいいな。(1997年秋TVCM)

紅の雲海に包まれた通天橋が待ち受ける「東福寺」。東福寺「三名橋」のひとつ「臥龍橋」を渡ると、「通天橋」の向かい側にある為、通天橋×洗玉澗の紅葉の全景がわかるベストポジションなのです。

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摂政九條道家が創建した臨済宗東福寺派の大本山。九條家の菩提寺として嘉禎2年(1236)から19年の歳月をかけて建立され、規模は東大寺につぎ、教行は興福寺にならうという意味から、「東」と「福」の二字をとり、「東福寺」と名づけられた、京都五山の一つにふさわしい禅宗寺院の威容をたたえている。本尊は釈迦如来。本堂は昭和9年再建、三門は現存最古の三門で国宝。禅堂、浴室、東司(とうす)、愛染堂など重文の建築も多い。方丈庭園は昭和の作庭家、重森三玲による。750年の歴史を脈々と伝える東福寺は京都屈指の紅葉の名所として知られ、広大な境内に大伽藍が勇壮な甍を並べて佇む景観は、時空を越えた別天地のようである。数ある京都の紅葉名所のなかでも、Noワンに挙げる人が多いのが、本堂と開山堂をゆるやかに隔てるように、三の橋川が流れ、一帯の渓谷は洗玉澗といい、ここを結んで架けられた、紅葉の炎に浮かび上がった天へと通じる名橋、「通天橋」からの眺めである。

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境内に繁る紅葉には、イロハモミジ、ヤマトモミジなどが多く、それらは優に二千本におよぶそうで、かえでの燃えるような朱色が、まるで下からわき上がってくるようである。その一部に、聖一国師が宋国から持ち帰ったと伝えられる唐楓は別名通天紅葉と呼ばれ、珍しい三つ葉楓は秋の深まりにつれ、艶やかな黄金色に染まるのである。通天橋の中央部分には張り出しがあり、ここからの眺めは最高。橋からひとしきり大パノラマを堪能したあとは、渓谷のほうへ降りて、紅葉が繁る中を散歩したのである。600年前まで、この一帯には桜が植えられていたが、後世、遊興の地としてにぎわう桜は修行の妨げになると、すべて伐採し、もみじに植え替えられたと言い伝えられているそうである。それが上記のキャッチコピーなのである。

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日本史という額縁に、1995年の紅葉がおさまっていました。南禅寺(1995年秋)

インクライン(傾斜鉄道)から疎水百選「琵琶湖疎水」の横を歩いていくと南禅寺境内にあるレンガ造りの「水路閣」にでる。東山の自然に溶け込む水路閣は古代ローマの水道橋を模したという不朽のグッドデザインで赤レンガの橋脚が優雅なアーチを描いて並び建つ姿は紅葉によく映える。

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日本史という額縁に、1995年の紅葉がおさまっていました。(1995年秋)

鎌倉時代の正応4年(1291)に亀山法皇の離宮を禅僧・無関普門が禅寺に改めたのにはじまる臨済宗南禅寺派の大本山「南禅寺」で、室町時代には臨済宗京都五山の最高位に君臨した、栄えある歴史にふさわしい風格が漂う。

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一番の見どころは日本三大門のひとつで、下層は「天下竜門」上層は「五風楼」と呼ばれる三門は、藤堂高虎が大阪夏の陣で倒れた戦没者を弔うために寛永5年(1628)に再建されたものであるが、本瓦葺の入母屋造で高さ22M、雄大な禅宗様式を代表する門といえる。その大きさには驚かされるが、そこに紅葉が加わる秋の景色はさらに感動的であり、紅葉の赤と門の黒が鮮やかなコントラストを見せる。楼上から京都が一望でき、歌舞伎の「楼門五三桐」で石川五右衛門の「絶景かな・・・」でもおなじみ名所である。

今年という年は この景色で思い出すことに なりそうです。永観堂(1996年盛秋)

ある日、このお寺の回廊で 修行中の僧の前に阿弥陀様が スッと現れ 振り返りざまに 「歩みが遅い 」と叱ったそうです。紅葉に見とれてばかりでいないで ちょっと私も 見返り阿弥陀様に叱られて行きます。(1996年盛秋 TVCM)

“秋は紅葉の永観堂”とうたわれるほど昔から紅葉で名高い「永観堂」。正式には禅林寺といい、歌人である藤原関雄(805-853)の別荘地を、弘法大師の弟子・真紹僧都が譲り受け仁寿3年(853)に創建、10年後の貞観5年(863)に清和天皇より勅許と「禅林寺」の寺号を賜ります。

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当初は密教道場であったが、平安末期に永観律師が第7代禅林寺住職となり、浄土念仏を唱えて専修念仏道場となり、永観堂の名がついたといわれ、正式名称は浄土宗西山禅林寺派総本山禅林寺。敷地内には庭園があり、橋を渡りながら赤や黄色・・・そして放生池(弁天池)の周囲を埋め尽くす紅葉の景色や池に映る紅葉を眺めるのもまた風情がある。お寺に入り、庭園や軒先を彩る楓のしっとりと薫るような美しさでおおわれた釈迦堂や法然上人を祀る御影堂を拝観する。永観律師が念仏行を行っているとき、突然現れた阿弥陀如来が振り返って「永観、遅し・・・」とい言ったと伝わる逸話をもとに鎌倉時代初期に作られた高さ77cmの仏像、顔をななめ後ろに向けており「みかえり阿弥陀」と呼ばれている阿弥陀如来像を祀る。阿弥陀堂(本堂)はもともと大阪四天王寺にあったものを豊臣秀頼が移築したものである。その手前から、曲がりくねった木の廊下「臥龍廊」を上っていくと真紹僧都を祀った開山堂がひっそりとある。途中、岩壁に張り付くようにして紅葉しているのが「古今和歌集」の歌にも詠まれた「岩がきもみじ」である。

「奥山の岩垣もみじ 散りぬべし 照る日の光 見るときなくて」 藤原関雄

ロマン派歌人与謝野晶子の歌集「みだれ髪」にも収録されている歌碑が放生池の袂にあります。後の夫与謝野鉄幹と恋のライバル山川登美子と三人で訪れた紅葉の永観堂で詠んだ歌が 「秋を三人(みたり) 椎の実なげし 鯉やいづこ 池の朝かぜ 手と手つめたき」です。

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京都市内の眺望が素晴しい山上には多宝塔があり、境内を埋め尽くす約3000本ものもみじが多宝塔まで続く山肌を赤々と染め上げる様は圧巻である。1200年以上の時を経た今もやはり「もみじの永観堂」であった。

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「がんばれ」「元気だせ」なんていうよりも・・・・・・ 毘沙門堂(2000年春)

いま、励ましを必要とするひとがいたら 「がんばれ」「元気だせ」なんていうよりも私なら、こういう場所に連れてきてあげたい と思います。春がこんなにもきっちり訪れる国でよかった。(2000年春TVCM)

地下鉄東西線山科駅から「毘沙門堂」を目指して 駅から徒歩10分ほどで「琵琶湖疏水」に到着。京都の近代化の一環として琵琶湖の水を京都に引くため、明治時代に堀削されたのが琵琶湖疏水で、このうち山科を通る疏水沿い2Kmは”山科疏水の道”として遊歩道が整備され、疏水にかかる安朱橋に立つと、両岸から立派な桜の木が水面に枝を広げて、桜と菜の花のコントラストがどこまでも続く光景に心ひかれる。

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さらに10分程で階段を上り毘沙門堂の入口、仁王門が目の前に。天台宗の五箇室門跡寺院のひとつで、ひなびた山寺の風情を残す古刹である。伝教大師作で秘仏とされている本尊の毘沙門天は京の七福神の一つに数えられる。創建は大宝3年(703)でかつては上京区出雲路にあったが、応仁の乱で廃絶、公海僧正が寛文5年(1665)にこの地に復興し、後西天皇の皇子が入寺ぢて門跡寺院となったとのこと。

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桜だけ見たいので本堂に沿って進むとなかなかの大きな桜の木が朱色の霊伝に花を添えている。

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境内にある、たくさんの桜の中でも、圧巻は樹齢百五十余年の枝垂桜「般若桜」で、毘沙門しだれとも呼ばれているこの大しだれ桜は、樹齢150年、高さは10Mとさほど高くないはないが、枝張り30Mという大きさが見事で、枝が長すぎるため、下から木で支えられている。

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ここがJR東海CMで撮られているのである。