六百年前、桜を全部 切りました。春より秋を選んだお寺です。東福寺(1997年秋)

六百年前、桜を全部、切りました。春より秋を選んだお寺です。紅葉のベストポジションは、修行の道でした。(1997年秋)

昔、このお寺のお坊さんは、境内のモミジは残して桜の木は、ばっさり切らしたそうです。春を捨ててその分秋という季節を大切にしたのでしょうか。いさぎいいな。(1997年秋TVCM)

紅の雲海に包まれた通天橋が待ち受ける「東福寺」。東福寺「三名橋」のひとつ「臥龍橋」を渡ると、「通天橋」の向かい側にある為、通天橋×洗玉澗の紅葉の全景がわかるベストポジションなのです。

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摂政九條道家が創建した臨済宗東福寺派の大本山。九條家の菩提寺として嘉禎2年(1236)から19年の歳月をかけて建立され、規模は東大寺につぎ、教行は興福寺にならうという意味から、「東」と「福」の二字をとり、「東福寺」と名づけられた、京都五山の一つにふさわしい禅宗寺院の威容をたたえている。本尊は釈迦如来。本堂は昭和9年再建、三門は現存最古の三門で国宝。禅堂、浴室、東司(とうす)、愛染堂など重文の建築も多い。方丈庭園は昭和の作庭家、重森三玲による。750年の歴史を脈々と伝える東福寺は京都屈指の紅葉の名所として知られ、広大な境内に大伽藍が勇壮な甍を並べて佇む景観は、時空を越えた別天地のようである。数ある京都の紅葉名所のなかでも、Noワンに挙げる人が多いのが、本堂と開山堂をゆるやかに隔てるように、三の橋川が流れ、一帯の渓谷は洗玉澗といい、ここを結んで架けられた、紅葉の炎に浮かび上がった天へと通じる名橋、「通天橋」からの眺めである。

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境内に繁る紅葉には、イロハモミジ、ヤマトモミジなどが多く、それらは優に二千本におよぶそうで、かえでの燃えるような朱色が、まるで下からわき上がってくるようである。その一部に、聖一国師が宋国から持ち帰ったと伝えられる唐楓は別名通天紅葉と呼ばれ、珍しい三つ葉楓は秋の深まりにつれ、艶やかな黄金色に染まるのである。通天橋の中央部分には張り出しがあり、ここからの眺めは最高。橋からひとしきり大パノラマを堪能したあとは、渓谷のほうへ降りて、紅葉が繁る中を散歩したのである。600年前まで、この一帯には桜が植えられていたが、後世、遊興の地としてにぎわう桜は修行の妨げになると、すべて伐採し、もみじに植え替えられたと言い伝えられているそうである。それが上記のキャッチコピーなのである。

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日本史という額縁に、1995年の紅葉がおさまっていました。南禅寺(1995年秋)

インクライン(傾斜鉄道)から疎水百選「琵琶湖疎水」の横を歩いていくと南禅寺境内にあるレンガ造りの「水路閣」にでる。東山の自然に溶け込む水路閣は古代ローマの水道橋を模したという不朽のグッドデザインで赤レンガの橋脚が優雅なアーチを描いて並び建つ姿は紅葉によく映える。

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日本史という額縁に、1995年の紅葉がおさまっていました。(1995年秋)

歴史という額縁に、1995年の紅葉がおさまっています。や、絶景かな、町ごと紅葉の美術館になる京都です。(1995年秋CM)

鎌倉時代の正応4年(1291)に亀山法皇の離宮を禅僧・無関普門が禅寺に改めたのにはじまる臨済宗南禅寺派の大本山「南禅寺」で、室町時代には臨済宗京都五山の最高位に君臨した、栄えある歴史にふさわしい風格が漂う。

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一番の見どころは日本三大門のひとつで、下層は「天下竜門」上層は「五風楼」と呼ばれる三門は、藤堂高虎が大阪夏の陣で倒れた戦没者を弔うために寛永5年(1628)に再建されたものであるが、本瓦葺の入母屋造で高さ22M、雄大な禅宗様式を代表する門といえる。その大きさには驚かされるが、そこに紅葉が加わる秋の景色はさらに感動的であり、紅葉の赤と門の黒が鮮やかなコントラストを見せる。楼上から京都が一望でき、歌舞伎の「楼門五三桐」で石川五右衛門の「絶景かな・・・」でもおなじみ名所である。

今年という年は この景色で思い出すことに なりそうです。永観堂(1996年盛秋)

今年という年は この景色で思い出すことになりそうです。今日、一生ものの風景に 出会ったような気がします。(1996年盛秋)

ある日、このお寺の回廊で 修行中の僧の前に阿弥陀様が スッと現れ 振り返りざまに 「歩みが遅い 」と叱ったそうです。紅葉に見とれてばかりでいないで ちょっと私も 見返り阿弥陀様に叱られて行きます。(1996年盛秋 TVCM)

“秋は紅葉の永観堂”とうたわれるほど昔から紅葉で名高い「永観堂」。正式には禅林寺といい、歌人である藤原関雄(805-853)の別荘地を、弘法大師の弟子・真紹僧都が譲り受け仁寿3年(853)に創建、10年後の貞観5年(863)に清和天皇より勅許と「禅林寺」の寺号を賜ります。

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当初は密教道場であったが、平安末期に永観律師が第7代禅林寺住職となり、浄土念仏を唱えて専修念仏道場となり、永観堂の名がついたといわれ、正式名称は浄土宗西山禅林寺派総本山禅林寺。敷地内には庭園があり、橋を渡りながら赤や黄色・・・そして放生池(弁天池)の周囲を埋め尽くす紅葉の景色や池に映る紅葉を眺めるのもまた風情がある。お寺に入り、庭園や軒先を彩る楓のしっとりと薫るような美しさでおおわれた釈迦堂や法然上人を祀る御影堂を拝観する。永観律師が念仏行を行っているとき、突然現れた阿弥陀如来が振り返って「永観、遅し・・・」とい言ったと伝わる逸話をもとに鎌倉時代初期に作られた高さ77cmの仏像、顔をななめ後ろに向けており「みかえり阿弥陀」と呼ばれている阿弥陀如来像を祀る。阿弥陀堂(本堂)はもともと大阪四天王寺にあったものを豊臣秀頼が移築したものである。その手前から、曲がりくねった木の廊下「臥龍廊」を上っていくと真紹僧都を祀った開山堂がひっそりとある。途中、岩壁に張り付くようにして紅葉しているのが「古今和歌集」の歌にも詠まれた「岩がきもみじ」である。

「奥山の岩垣もみじ 散りぬべし 照る日の光 見るときなくて」 藤原関雄

ロマン派歌人与謝野晶子の歌集「みだれ髪」にも収録されている歌碑が放生池の袂にあります。後の夫与謝野鉄幹と恋のライバル山川登美子と三人で訪れた紅葉の永観堂で詠んだ歌が 「秋を三人(みたり) 椎の実なげし 鯉やいづこ 池の朝かぜ 手と手つめたき」です。

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京都市内の眺望が素晴しい山上には多宝塔があり、境内を埋め尽くす約3000本ものもみじが多宝塔まで続く山肌を赤々と染め上げる様は圧巻である。1200年以上の時を経た今もやはり「もみじの永観堂」であった。

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