人の成功、失敗、1200年ぶん。京都は勉強になります。平等院鳳凰堂(1993年秋)

人の成功、失敗、1200年ぶん。京都は勉強になります。   「なに、ここ藤原さんの別荘だったんだって」「こういうところに住みたいね。(1993年 秋)

藤原道長の別荘を、息子頼通が永承7年(1052)に寺に改めて創建。平安貴族が夢見た極楽浄土を形にした国宝の阿弥陀堂は、全体の姿が翼を広げた鳳凰のようであることから「鳳凰堂」とも呼ばれ、10円玉にも刻まれ、その優美な姿は有名である。ミュージアム鳳翔館では、国宝の梵鐘や鳳凰堂の内壁を飾った雲に乗って楽器を奏でる雲中供養菩薩のほか、鳳凰堂内部の極彩装飾を復元した展示も見ることができます。

鳳凰堂を取り囲む、浄土式の庭園も美しく、阿字池に映る鳳凰堂は2012年9月に始まった改修工事を終え、2014年4月に鮮やかな姿を取り戻している。そして10月にすべての改修を終えて、ついに落成したのです。

平安時代の仏師定朝の作であることが確実な現存唯一の仏像である本尊の阿弥陀如来座像をはじめ、雲中供養菩薩像や9通りの来迎を描いた壁扉画など、平安時代・浄土教美術の頂点が集約され ていて、天井の二重天蓋の精緻さには驚かされる。

美しい景色は人が練りに練って生まれたものです。「旧嵯峨御所 大覚寺門跡」(2007年秋)

美しい景色は人がつくり上げるものです。この当たり前のことに1000年たった今、ドキリとするのはどうしてだろう。

平安時代の初めに海外の情報を集め、書を読み、話を聞き、練りに練ってこの空間設計は生まれたのです。(2007年秋)

平安時代の初めにわざわざ海外の情報を集め、書を読み、話を聞き、練りに練ってこの空間設計のプランは生まれたといいます。風景は人がつくり上げるものなんですよね。この当たり前のことに1000年たった今、ドキリとするのはどうしてだろう。(2007年秋TVCM)

もとは平安初期、嵯峨天皇によって建てられた離宮「嵯峨院」でしたが、貞観18年(876)に寺に改められ、明治時代初頭まで天皇や皇族が門主を務めた門跡寺院が、「旧嵯峨御所 大覚寺門跡」です。

正面には式台玄関があり脇にある、11月からお披露目される嵯峨天皇ゆかりの古典菊「嵯峨菊」もみどころです。

絵葉書だけでわかったつもりになられると寂しい。京都が言っています。(1993年 秋)

考えてみれば、1200年もかけてできた秋の中に居る。年季の入った風景ってわけですね。

境内の大沢池は周囲1.2kmの日本最古の人工の林泉で、嵯峨天皇が唐も洞庭湖を模して造られたことから庭湖とも呼ばれます。堤には桜やカエデ、松が植えられ、池中にはふたつの島をつくり、その背景にある北嵯峨の山々との調和を細かく計算するなど、自然が大いに生かされています。池の周りには茶屋や石仏群、名古曽滝跡などが点在し、時代劇の撮影によく使われています。

かつては、この池で貴族たちが舟遊びをし、月見を楽しんだのです。今でも平安時代へタイムトリップさせてくれるそんな場所です。

暑い夏を乗り切った私に、この町が「おつかれさま」と言ってくれました。常寂光寺(2007年秋)

清少納言が「枕草子」で、野は嵯峨野、山は小倉山と讃えられたこのあたりは宮人の草庵や隠れ家が多く作られました。

ここらあたりを歩くコツ教わりました。簡単でした。道はひとつ裏へ、も一つ奥へ、ほーら発見、広い道ばかり歩いてばかりいたらきっと見つからなかった思います。(2007年秋TVCM嵐山・嵯峨野)

宮廷歌人藤原定家もそのひとりで、古来の名歌100首を選んだいわゆる「小倉百人一首」の山荘後跡はここ「常寂光院」にあるといわれています。

16世紀末の江戸初期に日禛上人が隠棲の場所として開創し、仏教の理想郷「常寂光土」の趣を持つことからこの名が付けられました。ひっそりと佇むなんとも趣のあり山門をくぐります。

本圀寺から移築された仁王門は南北朝時代のもので、楓に覆われた43段の石段を上った先から振りかえると紅葉が散りかかる風情は定家の和歌の世界を思わせます。

紅葉なんてどこにでもある、と思っていました。失礼しました。(1993年秋)

約200本のもみじは、樹齢100年以上の老樹が多く、しっとりとした苔の緑色と鮮やかなコントラストを描きだします。【良か秋やね、と言葉をかわしあえる、それだけで、うえしかよ。】身を隠しているかのようなお寺ですが、伏見城から移築した本堂。

その背後の境内の上から小倉山の紅葉をまとう重要文化財の多宝塔越しに遥か嵯峨野の町も望める景色には上ってきたことに感動です。

暑い夏を乗り切った私に、この町が「おつかれさま」と言ってくれました。(2007年秋)

紅葉は旅の入口にすぎませんでした。二尊院(2012年秋)

紅葉は旅の入口にすぎませんでした。(2012年秋)

この紅葉の先には、二体のご本尊様が並んでおいでになります。それは・・・いや、説明はやめておきましょう。肝心なのは知ることではなく、感じることだといいますから。紅葉は旅の入口にすぎませんでした。(2012年秋TVCM)

嵯峨嵐山の小倉山の東麓に門を構える「ニ尊院」は、嵯峨天皇の勅願により、承和年間(834~847)に慈覚大師・円仁によって創建されました。正式には小倉山二尊教院華台寺と言います。

二尊院の名は、人が誕生し人生の旅路に出発する時送り出してくださる「発遣の釈迦」と人が寿命をまっとうした時に極楽浄土よりお迎え下さる「来迎の阿弥陀」の二如来像に由来します。この二尊により現世と来世の安寧を得られるというこの思想は中国の善導大師が広め、やがて日本に伝わり法然上人に受け継がれたといわれます。

伏見城から移築した総門からのびる100mの参道は広く、「紅葉の馬場」と呼ばれる両脇からの紅葉は圧巻です。

さらに白壁から続く真っ赤な紅葉がその先の境内へと導いてくれます。

 

なにしろ、日本でいちばん四季にうるさい町の紅葉ですから。祇王寺(1994年秋)

悲恋を伝える尼寺「祇王寺」は、平安後期、平清盛の寵愛を失った白拍子・祇王が母刀自、妹祇女とともに出家し、庵を結んだことに始まります。郷愁を誘う詫びた風情の山門をくぐって境内に入ります。

なにしろ、日本でいちばん四季にうるさい町の紅葉ですから。

このへんにあるといいな、とおもうところに、ちゃんと紅葉があるんです。京都では。(1994年秋)

このへんにあるといいな、とおもうところに、ちゃんと紅葉があるんです。そこが京都なんですね。ほら、京都の秋はもてなし上手です。(1994年秋 嵯峨野)

静けさに包まれた茅葺屋根の庵の前には苔むす庭が広がり、周囲にめぐらされた小路を歩きながら鑑賞できます。

紅葉に木々を縫って差し込む木漏れ日、苔を一面に覆い尽くす散紅葉・・・その眺めは、まるで一枚の絵画の様に完成されています。紅葉の道がいくつも見つかる嵯峨野の中でも、ひときわひっそりと、しかしドラマチックな趣にあふれるところです。

外の景色をお借りできて、うれしい、ありがとう。「借景」は、きもちの言葉でした。天龍寺(2016年秋)

暦応2年(1339)室町幕府初代将軍・足利尊氏が吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために。夢窓国師を開山として創建した臨済宗天龍寺派の大本山が「天龍寺」で、正しくは霊亀山天龍資聖禅寺といいます。

夢窓国師が手掛けた池泉回遊式の「曹源池庭園」は、国の史跡・特別名勝第一号に指定された名園です。多くの堂宇が明治以降の再建ですが、曹源池庭園は創建当時の姿を留めていています。曹源池の名称は国師が池の泥をあげた時、池中から「曹源一滴」と記した石碑が現れたところから名付けられました。

外の景色をお借りできて、うれしい、ありがとう。「借景」は、きもちの言葉でした。(2016年秋)

お寺を建てて美しい庭をつくろう、 600年以上も昔のプランです。外の景色をお借りして完成できたことに感謝をです。そんな気持ちがここにはあります。景色を借りると書いて「借景」いい言葉じゃないですか。(2016年秋TVCM)

背後に連なる錦秋の左手に嵐山、正面に亀山・小倉山、右手遠方に愛宕山を借景に自然美を取り込み、禅の思想が息づく庭園の人工美が一体となった壮大な景色は、紅葉が加わることでよりいっそう華やかに見えます。優美な王朝文化の大和絵風の州浜と宋元画を思わせる池奥の景色とが融合しています。正面の枯山水の三段の石組は龍門の瀧といい、これは中国の故事に由来します。

境内には大方丈、書院、庫裏、法堂、僧堂などの禅寺様式の建物が並び、法堂の天井には有名な「雲龍図」が描かれていますが早朝参拝は庭園のみになります。

子どもは ひと夏ごとに、おとなは ひと秋ごとに、善峯寺(2005年秋)

子どもは ひと夏ごとに、おとなは ひと秋ごとに、      なにか大事なものを身につけてゆくように思います。(2005年秋)

西山を代表する大パノラマの善峯寺は約3万坪、高低差100mの広大な境内に大小20近くの堂宇が建ち並び、その中を歩き巡る回遊式庭園になっていて、山寺という印象をはるかに超える華やいだ景観が広がっています。

平安中期の長元2年(1029)、比叡山横川の恵心僧都(源信)に師事した源算上人によって開かれ、その後建久3年(1192)後鳥羽天皇により「善峯寺」の宸額が下賜されました。応仁の乱により大半の坊が焼失しましたが、江戸時代、徳川5代将軍綱吉公の生母である桂昌院により復興されています。

真っ赤な紅葉との対比を見せる全長40m近くもある国の天然記念物である「遊龍の松」が見事です。

平安時代に、ここでなくてはいけない、とわざわざ場所を選んでつくられたお寺でした。だから、わざわざここへ来なければ会えなかった秋でした。おーい来たよ(2005年秋CM)

2009年の秋。今わたしたちは日本の歴史の、どのあたりを歩いているのだろう。光明寺(2009年秋)

京都の西南、西山連峰の麓、美しい竹林や杉、松の森に囲まれた栗生の里は法然上人が初めて「お念仏」の教えを説かれたところで、800年の歴史を刻む光明寺は西山浄土宗の総本山で報国山光明寺として法然上人の教えを受け継ぎ、総門の前に立つ「浄土門根元地」という石標はそのことを表しています。

法然上人を開山一世としていますが、建久9年(1198)の創建に力をつくしたのは『平家物語』や謡曲『敦盛』に登場する、有名な一の谷の戦いで平敦盛の首をとった頼朝方随一の豪傑・熊谷次郎直実です。その慚愧の念と無常感を法然上人の言葉に救われたことから出家を決意し、法然に師事した熊谷蓮生法師が、この地に念仏三昧院を開いたのが始まりです。

総門をくぐると、御影堂までの数百mの参道が二手に分かれています。右手には、幅15mぐらいの女人坂ともいわれるなだらかな階段があり、表参道の両側には色鮮やかな紅葉が広がっている・・・予定でしたがちょっと早かったのか。「浄土門ここにはじまる照紅葉」の句碑に出会う紅葉の参道です。敷石は元禄時代に近郊の桂川からひとつふたつと持ち寄られたものだそうです。

左手には真っ赤に色付いたもみじ?がトンネルのように薬医門へと続き、通称「もみじの参道」として親しまれています。

2009年の秋。今わたしたちは日本の歴史の、どのあたりを歩いているのだろう。(2009年秋)

ただの紅葉のトンネルではありません。800年前につながる、タイムトンネルです。今わたし達は、日本の歴史のどのあたりを歩いているんだろう。そんなことを考えてしまう、2009年の秋です。(2009年秋CM)

清水さんも、ちょっと夜更かしする。それが秋なんですね。清水寺(2004年秋)

鮮やかな朱色の仁大門が出迎えてくれる大定番の西国三十三ヶ所観音霊場十六番札所「音羽山 清水寺」。

パリやロスに ちょっと詳しいより 京都にうんと詳しいほうが かっこいいかもしれないな

外国のビジネスマンって けっこう京都のこと よく知ってたりするんだよな。(1993年 秋)

絵ハガキだけでわかったつもりになられると淋しい、と京都はいっています。京都は1200年目の秋です。そうだ京都、行こう。(1993年 秋CM)

中学校の時、修学旅行で来ているのにな  ぜんぜん違うな、はぁー 京都は1200年目の秋です。(1993年 秋CM)

清水さんも、ちょっと夜更かしする。それが秋なんですね。(2004年 秋)

どうですか、いかまらここにいらっしゃいませんか。京都東山三十六峰の秋はありがたいことに結構酔いっ張りなんです。こんな大人っぽい清水さんもいいもんでしょ。(2004年 秋TVCM)

と、秋だけで2回も取り上げられている「清水の舞台」で名高い東山の清水寺は、「木津川の北流に清泉を求めて行け」の夢告から宝亀9年(778)大和の僧・延鎮上人が音羽の滝の上に庵を結び、千手観音を祀ったのが始まりで、その後延暦17年(798)坂上田村麻呂が長岡京の旧紫宸殿を移築して創建したと伝わる単立の北法相宗大本山で、かつては清少納言も参詣したという。年間500万人もの参拝客が訪れる京都随一の人気スポットである。

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秋には音羽山の山裾一帯に広がる境内が赤く色づき、周囲2m30cmの巨大な139本の古色を帯びたケヤキの柱でクギを一本も使わず支えている、山際から前面に張り出しためずらしい懸崖造舞台の下に広がる錦雲渓もまさしく錦の雲がたなびいているかのような艶やかな情景になる。紅葉越しにじっくり1200年目の京の町を一望する舞台上の眺望も格別だが、奥の院と子安塔をつなぐ参道から望む、舞台と紅葉のコラボレーションもまた素晴らしい。燃え上がるような深紅の海原に浮かぶ名舞台がそこにあります。

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「正真正銘のゴクラク」は、町角を曲がるとあったりするんです。真如堂(2002年秋)

ご本名は真正極楽寺。                   「正真正銘のゴクラク」は、町角を曲がるとあったりするんです。(2002年秋)

正式な名前は真正極楽寺といいます。「正真正銘のゴクラク」ということですよね。住宅地の角をひょいと曲がったところにあるからといって侮ってはいけない。京都はそういう街です。(2002年秋TVCM)

「真如堂」は隠れた紅葉の名所で「そうだ、京都、行こう」で紹介されて落胆した人が多かったそうで、大通りから奥まっているので、普段はとても静かで、1万坪の広い境内は自由に出入りが出来、参拝客以外にも、とっておきの庭のように過ごす地元の人が多く、大らかで、親しみのあるお寺なのである。しかもこのあたりは昔から「神楽岡」と呼ばれ、こういう神々しい場所が町中にあるというのがいかにも京都です。

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真如堂」は紅葉の名所と知られる天台宗の寺院で、正式には真正極楽寺。寺名は正真正銘の極楽の寺という意味で、真如堂はもともと本堂の呼び名であったといいます。
永観2年(9849、戒算上人が比叡山常行堂にあった、平安初期に円仁が霊木で彫った天下三如来のひとつ阿弥陀如来を本尊として堂宇を建てたのがはじまり。本尊阿弥陀如来像は女人を救う仏で、「うなずきの弥陀」という別称で庶民に親しまれていてる。

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広い境内には三重塔、書院、元三大師堂、鐘楼などの伽藍が並び、大寺院の風格が漂っている。山門から本堂まで、ゆるやかに延びる参道の両側からは、赤く色づいた楓が降りかかり、三重の塔近くにある「はなの木」は黄、橙、赤と三色に変わるグラデーションが珍しい。空を覆い尽くさんばかりの紅葉のすき間から、優美な三重塔が顔をのぞかせるのである。

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