今年という年は この景色で思い出すことに なりそうです。永観堂(1996年盛秋)

今年という年は この景色で思い出すことになりそうです。   今日、一生ものの風景に 出会ったような気がします。(1996年盛秋)

ある日、このお寺の回廊で 修行中の僧の前に阿弥陀様が スッと現れ 振り返りざまに 「歩みが遅い 」と叱ったそうです。紅葉に見とれてばかりでいないで ちょっと私も 見返り阿弥陀様に叱られて行きます。(1996年盛秋 TVCM)

“秋は紅葉の永観堂”とうたわれるほど昔から紅葉で名高い「永観堂」。正式には禅林寺といい、歌人である藤原関雄(805-853)の別荘地を、弘法大師の弟子・真紹僧都が譲り受け仁寿3年(853)に創建、10年後の貞観5年(863)に清和天皇より勅許と「禅林寺」の寺号を賜ります。

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当初は密教道場であったが、平安末期に永観律師が第7代禅林寺住職となり、浄土念仏を唱えて専修念仏道場となり、永観堂の名がついたといわれ、正式名称は浄土宗西山禅林寺派総本山禅林寺。敷地内には庭園があり、橋を渡りながら赤や黄色・・・そして放生池(弁天池)の周囲を埋め尽くす紅葉の景色や池に映る紅葉を眺めるのもまた風情がある。お寺に入り、庭園や軒先を彩る楓のしっとりと薫るような美しさでおおわれた釈迦堂や法然上人を祀る御影堂を拝観する。永観律師が念仏行を行っているとき、突然現れた阿弥陀如来が振り返って「永観、遅し・・・」とい言ったと伝わる逸話をもとに鎌倉時代初期に作られた高さ77cmの仏像、顔をななめ後ろに向けており「みかえり阿弥陀」と呼ばれている阿弥陀如来像を祀る。阿弥陀堂(本堂)はもともと大阪四天王寺にあったものを豊臣秀頼が移築したものである。その手前から、曲がりくねった木の廊下「臥龍廊」を上っていくと真紹僧都を祀った開山堂がひっそりとある。途中、岩壁に張り付くようにして紅葉しているのが「古今和歌集」の歌にも詠まれた「岩がきもみじ」である。

「奥山の岩垣もみじ 散りぬべし 照る日の光 見るときなくて」 藤原関雄

ロマン派歌人与謝野晶子の歌集「みだれ髪」にも収録されている歌碑が放生池の袂にあります。後の夫与謝野鉄幹と恋のライバル山川登美子と三人で訪れた紅葉の永観堂で詠んだ歌が 「秋を三人(みたり) 椎の実なげし 鯉やいづこ 池の朝かぜ 手と手つめたき」です。

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京都市内の眺望が素晴しい山上には多宝塔があり、境内を埋め尽くす約3000本ものもみじが多宝塔まで続く山肌を赤々と染め上げる様は圧巻である。1200年以上の時を経た今もやはり「もみじの永観堂」であった。

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