この「ヒンヤリ」は 水の神様の、しわざです。貴船神社(2011年夏)(2002年夏)

貴船川沿いに本宮、中宮、奥宮が離れて点在し、約80段の石段の両脇の朱塗りの春日灯籠が並ぶ本宮の石段参道は、したたるようなご神木カツラの緑が広がり映え美しくあでやかです。

浅緑、浅葱、萌葱、萌黄、「日本のみどり色」が見つかりました。(2011 夏)

全国450社ある貴船神社の総本社である「貴船神社」は鴨川の水源に位置し、反正天皇(390年頃)の時代の創建とされている。神武天皇の母、玉依姫命が黄船に乗って浪速から淀川・鴨川・貴船川を遡って当地に上陸したところに水神を奉り祠を建てたのが始まりで、平安時代から水の神として信仰を集めていたのである。

この「ヒンヤリ」は 水の神様の、しわざです。(2002年 夏)

貴船川の上流へ500M、夏の川床で有名な料亭の赤提灯が途切れたあたりに奥宮がある。その間にある中宮(結社)の御祭神は磐長姫命で縁結びの神様と知られ、歌人・和泉式部が詣でて、心が離れた夫とよりを戻したことで有名です。

願い事をかなえる為にはまず、本宮で購入した「結び文」の裏に願い事を書き、結社の「結び処」に奉納するのだが、貴船神社の参拝方法は、本宮⇒奥宮⇒結社という順に参拝するのが、三社詣と言われる古くからの慣習です。最後のお参りする「結社」が縁結びの最強パワースポットなのである。

「京」と「水」とでできた「涼」でした。(2002年 夏)

柱を額縁に見立てた額縁庭園でゆっくりと目と耳を遊ばせて下さい。大原・宝泉院 (1999年 夏)

この国もますます、グローバル化するそうですね。あちこちが、デジタル化なんだそうですね。二十一世紀が、もうすぐだそうですね。(1999年 夏)

日本はどんどんグローバル化しなくっちゃとか  なんでもかんでもデジタル化だとか 21世紀はほらそこまできているぞとか なんだかこの国も大変なことになってきているようですが ちなみに明日は晴れです。(1999年 夏TV)

「宝泉院」は大源寺(勝林院)の住職の坊として平安末期頃よりの歴史を持ちます。客殿はオープンエアー心地良い風が吹き抜けます。まさしく「この寺の 竹の枝間を うちこして 吹き来る風の 音の清さよ」です。

客殿正面の庭に植わる樹齢700年以上の五葉松も見事で三上山(近江富士)を象ったとされています。高浜虚子は「大原や 無住の寺の 五葉の松」と詠んでいます。

三千院、実光院などの寺院を訪ね歩く道のつきあたりにひっそりと姿を現します。柱を額縁に見立てた額縁庭園でゆっくりと目と耳を遊ばせて下さい。鮮やかな緑と樹齢七百年の五葉松。縁側で頂く御抹茶と和菓子。この庭園の名は盤桓園「立ち去りがたい」言う意味だそうです。

 

 

京都のミステリーゾーンへ、ようこそ。さて、どのコースをお選びになりますか。鞍馬寺(1998年 夏)

六五〇万年前、金星よりの使者、この地に立つ。       八〇〇年前、義経、天狗と出会う。(1998年夏)

京都のミステリーゾーンへ、ようこそ。さて、どのコースをお選びになりますか。①金星からUFO到来説②天狗伝説③義経生存説 む、信じられないって顔してますね 嘘か本当か先に行ってちょっと確かめてきます。(1998年 夏TVCM)

牛若丸の伝説が今も息づくパワースポット「鞍馬寺」は宝亀元年(770)、鑑真和上の弟子・鑑禎上人が毘沙門天を本尊として創建し、延暦15年(796)藤原伊勢人が塔堂伽藍を整え千手観世音も合わせ祀り誕生したとされる古刹です。宇宙エネルギーを「尊天」と称し、ご本尊と仰ぎ、その力の働きを護法魔王尊(鞍馬天狗)の姿で表しています。牛若丸(源義経)が修行したという伝説が残り、いにしえより信仰を集める霊験あらたかなお寺であり、広い境内には手付かず自然が残り、昼間でも少し暗くて神秘的である。実際、「鞍馬山」は暗部山の別称があるように、暗く霊気に満ちた山として古くから京の人に知られていました。

仁王門から九十九参道を登り、本殿からさらに貴船へと牛若丸の足跡を辿り、源義経の若き日に思いを馳せてみてはいかがですか。

 

 

「ありがとう」 桜を見上げて言ったのは初めてな気がする。円山公園(2006年春)

こういう時代、気合いの入ったサクラが見たいものです。いろんな時代を生き抜いてきたサクラだもの。やっぱりちがうな。(1994年 春)

「ありがとう」 桜を見上げて言ったのは初めてな気がする。(2006年 春)

ああきれいだ、いいお酒が飲めるぞ。桜を見るとだいたいこんなことを思うんですよ いつもわね。それが今夜はちょっと違かな。なんて言ったらいいんだろう そう また春がきた、ありがとう。(2006年 春TV)

「山の桜」「里の桜」ともに数多くの名所を持つ京都の里の桜の代表するものの一つが円山公園にある高さ12m、枝張り10mのこの樹齢100年の大きな一重白彼岸枝垂れ桜です。

円山公園は大正3年(1914)に完成した京都最古の公園。元が八坂神社の一部で明治維新以降分離しました。約87000㎡の広さがあり、園内には小川治兵衛が手掛けた池泉回遊式庭園を中心に料亭や茶店が点在し、坂本龍馬や中岡慎太郎の銅像もある。京都随一の桜の名所と知られ約680本の桜が植えられています。毎年ここで花見をするという地元の人も多いのです。

整然とした庭に咲き誇るしなやかで優美なしだれ桜に彩られる“ねねの寺”「高台寺」(1996年春)

「鷲峰山高台寺」は、正式には高台寿聖禅寺といい、豊臣秀吉の没後、出家した正室・北政所(ねね)が、徳川家康の援助を受けて慶長11年(1606)に、秀吉の菩提を弔うため建てた寺院です。伏見城から方丈や茶室が移築された境内は壮麗です。

方丈の前庭は波心庭といい砂盛と砂紋を生かして構成されたシンプルな枯山水庭園。そしてねねが手植えしたと伝わる見事な枝垂桜「高台寺桜」の桜色が彩りを添えていて、JR東海CMにも撮られていています。凛とした白砂の一隅にあでやかな枝垂れ桜が映えて、まさしく

しっかり、しっかり春を見とかないと すぐに次の季節になっちゃいますよ。もうしばらくここにいよっと。(1996年 春)

庭園は小堀遠州作庭の草木や石組が大胆に配されたダイナミックな池泉回遊式庭園で国の史跡・名勝に指定されています。(1996年 春)

 

 

桜のあと、モネの描く「睡蓮」のようになるんです。勧修寺(2005年春)

桜のあと、モネの描く「睡蓮」のようになるんです。(2005年 春)

通り名はかんしゅうじですが本来は勧修寺(かじゅうじ)といい山科区にある真言宗山階派の総本山。平安時代の昌泰3年(900)に醍醐天皇が母藤原胤子の菩提を弔うために創建され、皇室と藤原氏にゆかりの深い寺院です。境内の西側には本堂、北側には江戸時代、法親王が暮らす門跡寺院となった際、明正天皇の旧殿賜った重文の書院がありますが非公開になっています。

参道の両側は白壁の築地塀で白壁の上からのぞく桜とともに桜のトンネルをくぐりかのように続きます。

庭園には桜が咲き徳川光圀寄進の雪見灯篭越しに見える景色は一枚の絵のようです。「勧修寺型灯篭」と言い『水戸黄門さま』らしいユーモラスなスタイルから有名です。また灯篭を覆うように生えている植樹「ハイビヤクシン」はヒノ木科の常緑潅木で樹齢は750年と言われ、我が国無双の名木として名高いです。南側の睡蓮で有名な氷室池には冬季マガモが飛来します。

庭園は「勧修寺氷池園」と呼ばれ「氷室の池」を中心に造園されている「池泉庭園」です。古く平安時代には、毎年1月2日にこの池に張る氷を宮中に献上していた京都でも指折りの古池です。

 

肩に花びらが落ちてきました。どんな大画面テレビでもできない お花見でした。南禅寺(2008年春)

あの、ひょっとしてハイビジョンの大型画面で桜を眺めて、もうそれで春を満喫した気になっていませんか。ところで風で手前に落ちた桜の花びらがさっきから私の肩に乗っかっているのです。こういうことが本当はとっても春なんです、よね。(2008年春TVCM)

南禅寺に向かう途中インクラインに出るために、古いレンガ造りのトンネル「ねじりまんぼ」を通る。”まんぼ”とは江戸時代に呼ばれたトンネルのことで、力学状の理由から、螺旋状にレンガを積み上げたことからこの名前になったとのこと。

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高低差のある琵琶湖疏水で船を運行するために敷設された傾斜鉄道の跡地で、春の蹴上インクラインの桜風景は格別で、600Mの傾斜軌道の両側から線路を覆いかぶさんばかりに咲き誇り、桜のトンネルは青い空に向って京都市内まで伸びていくような風景である。

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琵琶湖疏水の流れる山道の手前に蹴上発電所という明治24年(1891)6月に操業を開始したレンガ造りの情緒ある水力発電所があり、こちらの発電所の敷地も桜であふれている。

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このまま琵琶湖疏水を歩き、東山の桜散策の中心地「南禅寺」に到着です。西は岡崎の疏水べりに約800本の桜、南は今通ってきたインクラインの軌道上の600Mの桜のトンネル、北に向えば哲学の道の桜並木である。

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そんな南禅寺の三門から見る桜は、歌舞伎「楼門五三桐」の場面で、三門に登った五右衛門が「絶景かな、絶景かな。春の眺めを値千金とは小さいたとえ、この五右衛門が目からは値万両、万々両。日もはや西に傾きて、誠に春の夕暮れの、桜の色もひとしお、ひとしお。ハテ、うららかな眺めじゃなあ」と名科白を廻しているのである。

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見事なサクラであればあるほど、長い冬の時間、耐えてきたことを思うのでした。醍醐寺 (2009年春)

地球に、ポッと桜色になっているところがあるとしたら・・・ 京都です。(1995年春)

1598年 秀吉もここの桜を見ました。今年も京都に春が来ます。 あの秀吉が、自慢したくてたまらなかった 700本の桜の子孫たちです。少々の人出には、負けません。(1995年春TV)

見事なサクラであればあるほど、長い冬の時間、耐えてきたことを思うのでした。(2009年 春)

桜がこうして見事に咲くまでには必ず長い冬を越さなくてはなりません。そんな運命がこの国の花たちをますます美しくしているんじゃないでしょうか。そう思うと心から拍手を送りたくなります。(2009年 春TV)

京都における桜の名所の一つ、世界遺産・醍醐寺はあの豊臣秀吉が慶長3年(1598)「醍醐の花見」を行ったことでも良く知られており、「花の醍醐」と呼ばれていて、広大は境内には約1000本の桜が咲き乱れ、桜の名所100選にも選ばれている。太閤秀吉の行った壮大な醍醐の花見に思いを馳せながら桜を愛でることに。

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醍醐寺は醍醐山全山を寺域とする京都屈指の大規模寺院で、真言宗醍醐派の総本山である。伽藍は山上の上醍醐と山下の下醍醐に分かれ、80余の堂塔が立つ。貞観16年(874)に修験道中興の祖である理源大師・聖宝が上醍醐に草庵を結だのが始まりであり、豊臣秀吉が再興した。平成6年(951)世界文化遺産にも登録されている。
まずは山門から桜並木の長い参道に迎えられるという贅沢さである。

参道の左手には三宝院、右手には霊宝館があり、参道を進むと仁王門が現れる。

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三宝院の向かいに延びる霊宝館入口沿い参道の両脇には桜が満開。参道左手の塔頭は醍醐の花見の中心として行われた「三宝院」である。

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醍醐寺の塔頭の一つで、定賢、義範、範俊の三人の師から法を授かった醍醐寺第14世座主・勝覚僧正が永久3年(1115)に創建したもので、その後、鳥羽法皇の御願寺になる。そんな三宝院の玄関脇には見事な”大紅しだれ桜”がある。それが「太閤のしだれ桜」で、JR東海CMで撮られているのである。

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奥村土牛画伯の代表作「醍醐」のモデルになった桜です。

「京都」「初夏」「花」で検索して、息子が教えてくれました。三室戸寺(2006初夏)

「京都」「初夏」「花」で検索して、息子が教えてくれました。
春と夏の間に、いったい いくつ季節を隠しているんだ、この町は(2006年 初夏)

三室戸寺は明星山麓に位置する西国霊場第10番札所。奈良時代の創建といわれ、裏山から出現したとの伝説をもつ千手観音を本尊に祭る。三室戸寺という地名に室という文字が使われているが、あの御室と同じで、光仁天皇がこの地に離宮をかまえられた当初は御室戸寺だったようであるが、その後も花山天皇・白河天皇の離宮となり、「御」が「三」になって三室戸寺になったとのこと。

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枯山水、池泉、広庭からなる5000坪の大庭園が6月は1万株のアジサイに彩られるのである。

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アジサイ庭園を右手に見ながら山門をくぐり、階段を上った先が本堂である。現在の本堂は約180年前(文化二年)に建立された重層入母屋造りの重厚な建築で、その背景には室町時代の十八神社社殿、東には鐘楼・三重塔がある。本堂前の『蓮園』には、250鉢の色とりどりの蓮が一斉に咲いていればまさしくその光景は極楽浄土のようであろう。

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清水さんも、ちょっと夜更かしする。それが秋なんですね。清水寺(2004年秋)

鮮やかな朱色の仁大門が出迎えてくれる大定番の西国三十三ヶ所観音霊場十六番札所「音羽山 清水寺」。

パリやロスに ちょっと詳しいより 京都にうんと詳しいほうが かっこいいかもしれないな。(1993年 秋)

清水さんも、ちょっと夜更かしする。それが秋なんですね。(2004年 秋)

どうですか、いかまらここにいらっしゃいませんか。京都東山三十六峰の秋はありがたいことに結構酔いっ張りなんです。こんな大人っぽい清水さんもいいもんでしょ。(2004年 秋TVCM)

と、秋だけで2回も取り上げられている「清水の舞台」で名高い東山の清水寺は、「木津川の北流に清泉を求めて行け」の夢告から宝亀9年(778)大和の僧・延鎮上人が音羽の滝の上に庵を結び、千手観音を祀ったのが始まりで、その後延暦17年(798)坂上田村麻呂が長岡京の旧紫宸殿を移築して創建したと伝わる単立の北法相宗大本山で、かつては清少納言も参詣したという。年間500万人もの参拝客が訪れる京都随一の人気スポットである。

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秋には音羽山の山裾一帯に広がる境内が赤く色づき、139本の古色を帯びた柱が支えている山際から前面に張り出しためずらしい懸崖造舞台の下に広がる錦雲渓もまさしく錦の雲がたなびいているかのような艶やかな情景になる。紅葉越しに市内を一望する舞台上の眺望も格別だが、奥の院と子安塔をつなぐ参道から望む、舞台と紅葉のコラボレーションもまた素晴らしい。燃え上がるような深紅の海原に浮かぶ名舞台がそこにあります。

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